生涯、罪を背負って生きた「藤壺(ふじつぼ)」(1)
藤壺(ふじつぼ)は、桐壺(きりつぼ)天皇(桐壺を寵愛していたので、そう呼ばれています)の寵愛を受けながらも、光源氏と密通し、そのため罪の意識に生涯さいなまされ続けた女性です。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
「源氏物語」で登場する女性たちをご紹介シリーズ
二人目は「藤壺(ふじつぼ)」です。
ちなみに、前回の「桐壺」もそうでしたが、この名前は住んでいた後宮(天皇の后妃たちが住む宮殿)で与えられた部屋につけられた名前です。
(旅館で言うと「〇〇の間」、ホテルで言うと「△△△号室」みたいな)
「部屋の名前で呼ぶってどうなん?!」と思ってしまいますが、平安時代、女性の名前を他人が知ることはタブーとされていたそうです。
(なんで??)
そのため、朝廷が認めた女性以外は、名前が残っていないのです。
藤壺は、桐壺天皇が桐壺を亡くしたあと、寵愛を受けた女性です。
「げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる」とあるように、桐壺にとても似ていました。
身分も高く(先の天皇の皇女です)桐壺のように嫉妬やいじめもなかったようです。
そして桐壺天皇は「な疎(うと)みたまひそ(中略)なめしと思さで、らうたくしたまへ」と藤壺に、光源氏と仲良くするように言い、二人を常にそばに置いていました。
時に、光源氏9歳、藤壺14歳でした。
周りの人も、光源氏を「光る君」(ここで出てきました!)と呼び、それと並んで藤壺を「かかやく日の宮」と呼んで、二人のことを温かく見守っていたようです。
(ただ、桐壺天皇の第一子を産んだ、弘徽殿(こきでん)の女御は、機嫌が悪かったと書かれています)
(そらそうやろ(笑))
がっ!! これがいけなかった!
12歳で元服(男性の成人式)した光源氏は、これまで通り藤壺と逢うことができなくなりました。
この時代の女性は、男性に顔を見せることはタブーとされていましたので、成人した光源氏とも距離を置かなくてはいけなくなったんですね。
そして、元服と同時に結婚もしますが、藤壺のことを「さやうならむ人をこそ見め。似る人なくもおはしけるかな」
「この人がいい! こんな人、他にはおらん」と、恋心に苦しむのでした。
… 12歳の男の子が… 辛い…
さて、この先は次回です。
※ 表記中、太文字と斜め書きになっている箇所は、原文から引用しました。
工房沙彩では、2024年大河ドラマ「光る君へ」をイメージした、御朱印帳と和紙ファイルを販売しております。
よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。