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いざ、本能寺へ! 明智光秀の城 京都・丹波亀山城

こんにちは。京都にて、檜の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩」です。

ご来店いただき、ありがとうございます。

さて本日は、明智光秀が京都の丹波に築いた「丹波亀山城」です。

1575年、明智光秀は織田信長の命令を受け、京都の丹波に侵攻します。

ちなみに丹波は、京都市の北から西に位置する…

もとい、京都府の中心に位置する、自然豊かな地域です。

そして、丹波支配の拠点として築城されたのが「丹波亀山城」です。

1578年から始められた築城は、丹波の人々も驚くほどの早さで行われたとのことですが、そのために、周辺の寺院や神社から柱・扉といった部材や石材を築城資材として撤廃し、職人や人夫も大人数動員したそうです。

西国三十三所巡礼寺の「穴太寺」も、撤廃された寺院のひとつだったそうです。

光秀は4年かけて丹波を平定します。信長はこの光秀の働きを

「丹波国日向守働き、天下の面目をほどこし候」

(織田家の面目を天下にほどこすものだった、という意味)

と評し、この丹波を与え領地支配を任せます。

そして1582年、明智光秀はこの亀山城から本能寺に向かい「本能寺の変」が起こります。

残念ながら現在その姿を見ることはできませんが、石垣などは残っています。

光秀がこの丹波の地で、何を思い「本能寺の変」を起こすことになったのか、どのような思いで本能寺まで向かったのか、想像すると感慨深いものがあります。

工房沙彩では、明智光秀をモチーフにした、御朱印帳を販売しております。

よろしければ、ショップをご覧になってくださいね。

 

 

 

 

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