日本創世神話の地、京都・籠神社(このじんじゃ)で御朱印
京都・丹後(たんご)にある「天橋立(あまのはしだて)」は、日本創世神話の地と言われ、かつて籠神社(このじんじゃ)の社領地でもあり、参道でもありました。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
さて本日は、日本三景のひとつ・天橋立(あまのはしだて)に鎮座する「籠神社(このじんじゃ)」です。
ご祭神は「彦火明(ヒコホアカリ)命(のみこと)」
別名を「天照国照彦火明(アマテルクニテルヒコホアカリ)命(のみこと)」ともいい、最近のブログにも登場した「邇邇芸(ニニギ)命(のみこと)」のお兄さまです。
(ニニギは「木花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)」「石長比売(イワナガヒメ)」のブログに登場しています)
つまり「天照(アマテラス)大御神(おおみかみ)」の孫にあたる神さまです。
アマテラスから「息津鏡(おきつかがみ)」と「邊津鏡(へつかがみ)」(どちらも神宝)を賜り、海の奥宮である冠島(かんむりじま)に降臨され、丹後・丹波地方に養蚕(ようさん)や稲作を広め開拓された神さまと言われています。
ちなみに冠島は、籠神社の東方、海上20㎞に浮かぶ無人島で、許可を受けた人々しか立ち入ることのできない場所です。
海底には、現在も解明されていない、弥生時代の遺跡があるそうですよ。
(何か、神秘的ですね!)
ヒコホアカリは、竹で編んだ籠(かご)船に乗って冠島に行かれたという故事から「籠宮(このみや):籠神社の古称)と呼ばれるようになったそうです。
そして、籠神社の宮司(ぐうじ:神社の長)は、代々このヒコホアカリを始祖とする「海部(あまべ)家」が奉仕をしており、現在は83代目に当たるそうです。
さて、皆さんは、天橋立を知っておられますでしょうか。
宮津湾と阿蘇海を南北に隔てる全長3.6㎞の砂州(さす)で、5000本もの松が生い茂っています。
その天橋立は「日本創世神話」に登場します。
神世の昔、地上の大地を完成させるよう命じられた「伊邪那岐(イザナギ)命(のみこと)」と「伊邪那美(イザナミ)命(のみこと)」は、天浮橋(あまのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)で混沌とした大地をかき混ぜます。そして、最初にできたオノゴロ島に降り、次々と大地を生んでいきます(「国生み」ですね)。
天橋立は、この天浮橋の別名と言われています。
イザナギは、この天浮橋を使い、天上と地上を行き来していたそうですが、ある日、昼寝をしている間に橋が倒れてしまい、それが現在の天橋立だそうです。
… 想像すると、笑ってしまいますが(笑)
籠神社は、神門から先は撮影禁止のため写真はありませんが、三重の伊勢神宮(いせじんぐう)と酷似する箇所があります。
アマテラスは、現在「伊勢神宮内宮(ないぐう)」に鎮座されていますが、実はそれまでに25回も引っ越しをされているのです!
そのため「元伊勢(もといせ)」と呼ばれる神社は、それだけ存在することになりますが、ここ籠神社の奥宮「真名井神社(まないじんじゃ)」も「元伊勢」のひとつです。
そして、伊勢神宮と最も深い繋がりをもっていたと言われています。
次回「真名井神社」のブログで、その理由を紹介させていただきますね。
工房沙彩では、アマテラスを始め「日本神話」をモチーフにした、御朱印帳を販売しておりますので、よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。