豊受(トヨウケ)大神の故郷、京都・真名井神社(まないじんじゃ)で御朱印
京都・丹後(たんご)にある「籠神社(このじんじゃ)」の奥宮「真名井神社(まないじんじゃ)」は、天照(アマテラス)大御神(おおみかみ)が、一時鎮座された「元伊勢(もといせ)」と言われています。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
さて本日は、前回ご紹介した「籠神社(このじんじゃ)」の奥宮「真名井神社(まないじんじゃ)」です。
ご祭神は「豊受(トヨウケ)大神(のおおかみ)」
「アラッ!」と思われた方! さすがです(笑)
そうです! 「伊勢神宮(いせじんぐう)外宮(げぐう)」のご祭神ですね。
ちなみに「伊勢神宮外宮」の正式名称は「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」です。
崇神(すじん)天皇の時代まで、宮中で祀られていた「天照(アマテラス)大御神(おおみかみ)」は、宮中の外で祀られるための安住の地を求めて、旅立たれます。
(紀元前92年のことだそうです!)
その際に、アマテラスの食物神(お食事係ですね)として選ばれたのが、トヨウケでした。
当時、すでに丹後・匏宮(よさのみや:現在の真名井神社)に鎮座されていたトヨウケは、アマテラスと共に、伊勢にたどり着くまでの25カ所を、一緒に巡幸されたそうです。
その2番目に鎮座されたのが、ここ丹後・匏宮でした。(吉佐宮(よさのみや)と呼ばれています)
… トヨウケが「私のいたとこ、ええとこよ!」と言われ、連れてこられたのでしょうか?(笑)
その後、点々とされ、現在の「伊勢神宮内宮(ないぐう)」にアマテラスが鎮座されたのが、垂仁(すいにん)天皇26年(紀元前4年?)のことだそうです。
そしてトヨウケは、丹後の地に戻りますが、アマテラスが「一つの場所にとどまっているのは辛いし、食も進まない。トヨウケを呼んでほしい」と言われたため、478年に「伊勢神宮外宮」が創建され、再びアマテラスの食事係として、鎮座されたそうです。
トヨウケはアマテラスにとても気に入られていたようですね。
そのようなこともあってか、前回も紹介させていただきましたが「元伊勢(もといせ)」の中でも、伊勢神宮と籠神社は酷似する箇所があり、深い繋がりをもっていたと言われています。
トヨウケのお母さまは「和久産巣日(ワクムスヒ)神(のかみ)」で「伊邪那美(イザナミ)命(のみこと)」から生まれた神さま、
アマテラスは「伊邪那岐(イザナギ)命(のみこと)」から生まれた神さま
何か、不思議なご縁がありそうですね。
さて「真名井神社」の名前の由来ですが…
前回紹介した「籠神社」のご祭神「彦火明(ヒコホアカリ)命(のみこと)」を始祖とする「海部(あまべ)家」の三代目「天村雲(アメノムラクモ)命(のみこと)」が、高天原(たかまがはら)に参い昇って、神々がお使いになる「天の真名井の水」を黄金の鉢に入れて持ち降ったそうです。
そのご神水を、まず日向の「高千穂宮(たかちほのみや:神武(じんむ)天皇の時代まで皇居のあった場所」の井戸に還し、そして「吉佐宮」の井戸に還したそうです。
その後「伊勢神宮外宮」の「上御井神社(かみみいじんじゃ)」の井戸に還され、それ以来、アマテラスのための食事に供えられているそうです。
(「伊勢神宮外宮」では、現在も毎日朝夕、アマテラスのために食事を作る儀式が行われているそうですよ!)
その御神水にちなんで「真名井神社」と改名されたと伝わっているそうです。
そして、この「真名井の水」は、いただくことができます!
真名井神社も、二の鳥居から半分ほど昇った先からは撮影禁止のため、写真はありませんが、古代の祭祀形態である磐座(いわくら:神が宿る石)が鎮座し、トヨウケやアマテラスが祀られています。
神を祀る常設の社殿(神社)が無い時代の人々は、大きい木や岩石、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝対象として神祀りを行っていました。
縄文時代の出土品も見つかっていることから、古代から神聖な地と考えられ、神々をお祀りしていたことが伺えます。
皆さまも、ぜひお参りしてみてください。
工房沙彩では、アマテラスを始め「日本神話」をモチーフにした、御朱印帳を販売しておりますので、よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。