祟(たた)りよ、鎮(しず)まれ! 京都・御霊神社(かみごりょうじんじゃ)で御朱印
「京都十六社朱印(きょうとじゅうろくしゃしゅいん)めぐり」紹介シリーズ。
今回は、御霊神社(かみごりょうじんじゃ)の御朱印を紹介させていただきます。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
「京都十六社朱印めぐり」本日の紹介は、御霊神社(かみごりょうじんじゃ)です。
私たち京都人は「上御霊神社」と書かれている方が馴染みがあるのですが、正式名称は「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」だそうです。
御霊神社より南に「下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)」があり、区別するために「上」を付けて呼ばれているようです。
この巡りの資料には、フリガナとして「かみ」が付けてあったので、その通りに記載しました。
ご利益は「こころしづめ・厄除(やくよけ)・学業成就(がくぎょうせいじゅ)」
さて「御霊(ごりょう)」の意味ですが
古来、災害や疫病が起こるのは、怨念(おんねん)をもって亡くなった貴人の霊が、災厄をもたらすためと信じられてきました。
人々は、これを「御霊」と呼んで恐れていたそうです。
奈良・平安時代にも、災害や疫病は続き、これを重く見た桓武(かんむ)天皇が、平安遷都(せんと)と共に、この地に、その霊を鎮めるため、神として祀るよう勅命(ちょくめい)を出されたそうです。
その最初のご祭神が「早良(さわら)親王」。桓武天皇の実弟で、無実の罪で皇太子の地位につけず流刑にされ、天皇を恨みながら断食をして没されたそうです。
(この時代って、ホントに身内でドロドロしてましたよね…)
その後も、非業の死を遂げた人々が、ご祭神として祀られ、現在十三柱が静かに祀られています。
境内は「御霊の杜(もり)」と呼ばれ、応仁元年(1467)正月18日、畠山政長(はたけやままさなが)と義就(よしなり)の合戦が行なわれ「応仁の乱(おうにんのらん)」の発端となったところだそうです。
京都人が「先の戦」と言えば「太平洋戦争」ではなく「応仁の乱」のことと答える…という話は有名ですよね。
(私は、そんな人と出会ったことはありませんが(笑))
賀茂川(かもがわ)が近くに流れており、時がゆっくりと過ぎていくのを感じます。
大変な状況が続いておりますが、収束した折には、ひと息つきに訪れてみてはいかがでしょうか。
工房沙彩では、願いに応じたご祈願帳を販売しております。
よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。