紫式部で盛り上がってます! 滋賀・石山寺(いしやまでら)で御朱印
滋賀・石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津の南端、琵琶湖から流れ出る瀬田川の西岸に位置する、真言宗の大本山です。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
本日は、2024年大河ドラマ「光る君へ」で盛り上がっている、石山寺のご紹介です。
なぜこんなに盛り上がっているのかと言うと、紫式部が石山寺に参籠(さんろう:神社や仏堂に参り、一定の期間昼も夜もそこに引きこもって神仏に祈願すること)した時に、源氏物語の着想を得たとする伝承があるからです。
石山寺は、天平(てんぴょう)19年(747年)聖武(しょうむ)天皇の勅願により、奈良・東大寺の初代別当・良弁(りょうべん)が創建したそうです。
ちなみに天皇の勅願は「東大寺の大仏に貼る金箔が足りないから、もっと採れるように祈願してくれ」だったそうです。
そのため良弁は、夢のお告げもあり、この地で天皇から預かった、聖徳太子の念持仏(ねんじぶつ:身近に置き祈願するための仏像)の「如意輪観音(にょいりんかんのん)」を祀って祈願し、みごと金を発掘したそうです。
…? 金箔が採れるように祈願しろって、もっと大事なことがあったやろ! 知らんけど(笑)
ご本尊は「如意輪観音(にょいりんかんのん)」
平安時代後期の作とされています。
(天皇から預かった聖徳太子の観音さまではないです)
33年に1度の開扉と、天皇即位翌年の開扉以外は原則として公開されず、開扉は勅使(ちょくし:天皇からの使者)により行われるそうですが、なんやかんやと10年以内の周期で、お姿を拝ませてくださっています。
ではなぜ紫式部は、石山寺に参ったのでしょうか。
理由は「当時、石山詣(いしやまもうで)が流行っていたから」です!
この時代の貴族は「現世利益(げんぜりやく)」を仏教に求めていました。
つまり、念仏や加持祈祷、供養、布施など、宗教的に善い行いをした果報として、現世において無病息災・招福等の利益を受けようとしたのです。
(源氏物語でも、やたら加持祈祷を行っています)
また「観音さまを念じれば、いかなることも救われる」という「観音信仰」も支持されていました。
そして、京都の清水寺・奈良の長谷寺と並んで「三観音」として信仰を集めていたのが、石山寺でした。
都にほど近く、逢坂山や琵琶湖の風景を堪能しながらの参拝は、観光的要素も含めて、宮廷の官女の間で盛んに行われていたそうです。
彼女だけではなく、清少納言や和泉式部なども参拝していますよ。
本堂は、国の天然記念物「石山寺硅灰石(けいかいせき)」という巨大な岩盤の上に建っており、これが寺名の由来ともなっているそうです。
そして何より、広い! 敷地内では、四季折々の風景が楽しめます。
私が訪れたこの日は、梅と早咲きの桜が楽しめました!
今、盛り上がっているこの地に、ぜひ皆さまも、お参りくださいませ。
工房沙彩では、2024年大河ドラマ「光る君へ」をイメージした、御朱印帳と和紙ファイルを販売しております。
よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。