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刀剣は「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」京都・豊国神社(とよくにじんじゃ)で御朱印

「京都十六社朱印(きょうとじゅうろくしゃしゅいん)めぐり」紹介シリーズ。

今回は、豊国神社(とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ)の御朱印と、関係する刀剣(とうけん)「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」の御朱印を紹介させていただきます。

京都 豊国神社 刀剣 十六社

こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。

ご来店いただき、ありがとうございます。

京都 豊国神社 御朱印

さて前回に引き続き、「京都十六社朱印めぐり」と「京都刀剣御朱印(きょうととうけんごしゅいん)巡り」を共に紹介していきたいと思います。

京都 豊国神社 十六社 刀剣

「豊国神社(とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ)」

ご利益は「出世開運(しゅっせかいうん)・厄除招福(やくよけしょうふく)・良縁成就(りょうえんじょうじゅ)・商売繁盛(しょうばいはんじょう)」

ご祭神は、「前関白太政大臣(かんぱくだいじょうだいじん) 正一位 豊臣秀吉(とよとみひでよし)公」

秀吉が亡くなった翌年に創建されました。

ただ、豊臣家滅亡後、徳川家康(とくがわいえやす)により神社は廃絶となりますが、

(この時、秀吉の正室北政所(きたのまんどころ)の願いにより、社殿は残ったそうです)

明治天皇によって再興されたそうです。

京都 豊国神社 刀剣 十六社

こちらの唐門(からもん)は桃山時代の建築物で国宝に指定されています。秀吉の住んでいた伏見城の遺構と伝えられ、欄間(らんま)や扉などに豪華な装飾が施されています。

さて豊国神社の隣には、秀吉によって創建された「方広寺(ほうこうじ)」があります。

この方広寺には、奈良の大仏より大きな大仏が製作されましたが、完成直後に発生した慶長伏見(けいちょうふしみ)地震により倒壊してしまいました。

このとき秀吉は「自らの身をも守れないのか」と大仏に対し激怒したと伝えられています。

そして秀吉の死後、息子の秀頼(ひでより)により再建が開始されましたが、梵鐘(ぼんしょう:下の画像のような釣鐘(つりがね)のこと)の銘文(めいぶん)を徳川家康が問題にし、豊臣氏が滅亡する大坂の陣の発端となってしまいます。

京都 豊国神社 方広寺

この鐘の「国家安康(こっかあんこう)」「君臣豊楽(くんしんほうらく)」の文字は白く囲まれて印がついているので、すぐわかりますよ。

京都 豊国神社 刀剣 御朱印

豊国神社の刀剣は「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」

鎌倉時代の刀工・藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)により作られた刀で「斬る真似をするだけで骨を砕いてしまう」そうです(怖…)。

藤四郎の刀を集めていた豊臣秀吉が一時所持しましたが、その後徳川家に渡り、明治天皇により豊国神社が再興される際に、徳川家から神社に寄進されたそうです。

現在も豊国神社の所持品で、京都国立博物館に寄託されています。

ですので、見させていただく機会がありそうですね。

 

御祈願帳とご朱印

工房沙彩では、願いに応じたご祈願帳を販売しております。

よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。

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