愛するあまり生霊に!?「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」(3)
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は、光源氏を愛するあまり、生霊(いきりょう)そして死霊(しりょう)になってしまう女性です。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳の和紙に新たな命を吹き込んだ「和紙香(かみこう)」「和紙華(かみか)」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
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「源氏物語」で登場する女性たちをご紹介シリーズ
引き続き「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」です。
その前に、六条御息所の娘がなった「斎王(さいおう)」についてです。
斎王とは、天皇に代わって、伊勢神宮に祀られている「天照大御神(アマテラスおおみかみ)」に奉仕する巫女のことで、未婚の皇族女性、又は近親の女王から「卜(ぼく)」という占いによって選ばれました。
六条御息所の娘は、前皇太子の子供なので、問題なしだったのでしょうね。
制度として本当に存在しており、天武天皇の時代(673年)から始まり、南北朝時代が始まる1337年になくなったとされています。
選ばれた斎王は、神に仕える身となるため、3年ほど、2ヵ所の特別な場所に籠り、けがれのない日々(肉・魚・酒はダメ(私には絶対ムリ!)、香辛料も使用禁止、恋愛禁止、そして沐浴(もくよく)をし身を清める…)を過ごすこととなります。
そしてその後、200人ほどの従者を引き連れ、5泊6日かけて伊勢神宮まで旅したそうです。
さて、葵の上が亡くなってから、光源氏は六条御息所に、全く逢いに行かなくなります。
「まことに憂しと思すことこそありけめと、知り果てたまひぬれば」
「そら、あんなことしたら嫌われるにきまってる…」と、六条御息所は光源氏への未練を断ち切って、伊勢への出発の準備をし始めます。
そうなると、追いかけてみたくなるのが光源氏、いや男心。
「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや」
「俺のこと諦めさすのも可哀そうやし、それに俺に対しての世間の評判も悪くなるしな」と、たびたび思わせぶりな手紙を送り、出発間際には、家に押し掛けるのでした。
(ホンマ、何様?!)
それでも生霊となってまで愛してしまった光源氏を、拒み切れない女心。
「やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか心動きて、思し乱る」
「やっと諦められたと思ったのに、やっぱりあかん…」と、最後の夜を過ごすのでした。
(ああああ! 歯がゆい!!)
7年後、天皇が代わったため、斎王も交代となり、都に戻った六条御息所は、重い病にかかってしまいます。
そして、見舞いに訪れた光源氏に、親がいなくなってしまう娘を託します。
「うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな」
「言いたないけど、娘に手を出したらあかんで」と、釘を刺して…
自分のようになってほしくないと訴え、そして数日後、亡くなります。
しかしその後も、死霊となって、六条御息所は登場します。
それは光源氏が、六条御息所のことを思い出し「扱いにくい女やった」と、妻の「紫の上」に話したことがきっかけでした。
その紫の上の元に現れます。
「心善からず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく」
「性格は善くない?! 扱いにくい?! 何ゆうとんねん!」って感じでしょうか。
(相変わらず、恨む相手を間違ってるし…)
しかし、紫の上を何ともできなかったため、今度は光源氏の正妻となった「女三の宮」のそばに潜み、出家させてしまいます。
そして「日ごろさぶらひつる」
「これぐらいで許したろ」と笑いながら去っていったのでした。
本当に、私は六条御息所に言いたい!
ええか? 悪いのは、光源氏やで!!!
※ 表記中、太文字と斜め書きになっている箇所は、原文から引用しました。
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