光秀の愛妻 明智煕子
こんにちは。京都にて、檜の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
さて、本日は、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でおなじみの、明智光秀の奥様、煕子(ひろこ)についてです。
と言っても、残念ながら私は「麒麟がくる」を見ていないので、どのように演じられているか全く知らないんです(汗)
ですので「それ、やってた!」という内容でしたら、すみません
光秀は、出生から織田信長に仕えるまでの史料は乏しく、謎の多い人物とされていますが、その奥様ともなると、もひとつ謎が多くなります。
その中で、伝えられている有名な話を…
光秀との結婚が決まっていた時、煕子は疱瘡(ほうそう)にかかってしまい、美しいお顔に痘痕(あばた)が残ってしまいます。
そのため、実家の妻木氏は、顔の似ていた妹を代わりに嫁がせようとしましたが、光秀は「容貌は歳月で変わるものだが、心の美しさは変わらない」と伝え、煕子を選んだと言われています。
(そんなこと言われると、尽くしてしまいますよね)
また光秀は、美濃にあった明智城が攻められた時、身重であった煕子を背負って越前へ逃げたという話や、煕子は、資金のない光秀が恥をかかないよう自らの髪を売ったという話も残されており、二人は仲の良い夫婦であったと言われています。それゆえ光秀は、側室を持たなかったとも…
(私は、戦国の時代に「ありえない!」と思っておりますが(笑))
そんな煕子ですが、光秀が病気になった際には懸命に看病し、光秀が完治した後、病死したと言われています。
光秀は、大事な戦の最中であったにもかかわらず、葬儀に出たとのことです。
当時、奥さんの葬儀に出る風習は、なかったそうで、周囲の目もあったはずですし、本当に、お互い思いあっていたのでしょうね。
(側室を疑って、ごめんなさい)
現在は、西教寺にて二人仲良く祠られています。
ということで、次回は西教寺について、書きたいと思います。
工房沙彩では、明智光秀をモチーフにした、御朱印帳を販売しております。
よろしければ、ショップをご覧になってくださいね。