東国三社参り(2) 香取神宮(かとりじんぐう)で御朱印
千葉県にある「香取神宮(かとりじんぐう)」は、古代より鹿島神宮(かしまじんぐう)と共に、東国支配の要として崇められてきた神社です。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳の和紙に新たな命を吹き込んだ「和紙香(かみこう)」「和紙華(かみか)」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
さて、東国三社参り第二弾です!
前回も書きましたが、この日はあいにくの雨でした…
(晴れ女2人で行ったのですが…)
おまけに、三社とも改修工事を行っておられ、少し残念でした。
(来年、式年大祭があるそうで、そのためのようです)
ただ、せっかく京都から訪れているので、神さまのパワーを頂くため、歩き回ってきました!
というわけで、今回は香取神宮のご紹介です。
香取神宮は、全国にある香取神社の総本社で、神武(じんむ)天皇18年(紀元前640年頃)に社殿が造営されたといわれています。
鹿島神宮のブログでも、ご紹介しましたが、神武天皇は日本の初代天皇です。
ご祭神は「経津主大神(フツヌシのおおかみ)」
鹿島神宮のご祭神である「武甕槌大神(タケミカヅチのおおかみ)」とともに「国譲り」に貢献した神さまです。
(ただ、日本書紀にしか登場されていません)
その「国譲り(日本書紀版)」とは
(古事記版はこちら!)
大国主命はここでも大人気! 京都・八坂神社の大国主社(おおくにぬししゃ)で御朱印
当時、葦原中国(あしはらのなかつくに:地上の世界)は、大国主命(オオクニヌシのみこと)が、豊かな国を作り治めていました。
それをご覧になった天照大御神(アマテラスおおみかみ)は「わが子に葦原中国を治めさせたい」と思われ、地上に使者を送りました。
二度の失敗がありましたが、最後に使者として送られたのが、フツヌシとタケミカヅチでした。
出雲(いずも)の国に降り立った二神は、オオクニヌシに「国を譲る考えはあるか」と迫ります。
するとオオクニヌシは「わが子の事代主神(コトシロヌシのかみ)と相談してから決める」と答えます。
そのため二神は、コトシロヌシの元へ行き、同じく国譲りの考えを迫ると「勅命が下されたのであれば、それに従うべき」と答え、姿を消してしまいました。
その報告を受けたオオクニヌシも姿を消し、このことをもって、アマテラスの子孫が地上を治めることとなったのです。
ちなみに、この後地上を治めることになった神さまが、あの(笑)邇邇芸命(ニニギのみこと)です。
(よろしければ、こちらもお読みください)
小さい神社も癒される♡ 京都・猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)で御朱印
※日本書紀版ですが、神さまの表記は古事記のものです。
さて、鹿島神宮と香取神宮には、大部分が地中に埋まった「要石(かなめいし)」と言われる霊石があります。
神代の時代、両宮の大神が、地震を起こす地中の大鯰(おおなまず)の頭と尾に石棒を刺し、地震を止めたという伝説があります。
要石は、その地中深くまで差し込んでいるとされる石棒で、わずかに露出している頭頂部は、香取神宮では凸形石、鹿島神宮では凹形をしています。
(鹿島神宮は、要石で頭を押さえていると伝えられているそうです)
水戸の徳川光圀(みつくに:水戸黄門です)公が、どこまで深く埋まっているか確かめようと、7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という逸話もあるそうです。
鹿島神宮から香取神宮まで、約12kmですから、ホントに大きなナマズですよね!
ちなみに、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の位置は、直角二等辺三角形を形成する配置となっているそうです。
皆さまも、江戸の庶民も行っていた東国三社参りで、パワーをいただかれてみてはいかがでしょうか。
工房沙彩では、アマテラスを始め「日本神話」をモチーフにした、御朱印帳を販売しておりますので、よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。