金沢の旅(2)! 尾山(おやま)神社で御朱印
石川県にある「尾山(おやま)神社」は、金沢城の近くにあり、和漢洋の三様式を混用した、異色の神門が有名な神社です。
こんにちは。京都にて、檜(ひのき)の木製御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳の和紙に新たな命を吹き込んだ「和紙香(かみこう)」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩(こうぼうさあや)」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
さて、前回に引き続き、金沢です。
(雨は小降りになってきました!)
今回は、兼六園から金沢城を巡り、その先にある「尾山(おやま)神社」をご紹介します。
尾山神社は、江戸時代から明治初期に流行した、藩主を祀った神社です。
明治6年(1873)創建で、去年(2023年)150周年を迎えました。
上のご朱印は、その記念のご朱印です。(金!)
ご祭神は、加賀藩祖「前田利家(まえだとしいえ)」と、妻の「お松の方」。
歴史好きの方には、おなじみの武将ですね。
若き頃は、織田信長に仕え、三間半(約6m30cm)もある長槍を振り回し「槍の又左」と呼ばれるほどの荒武者でした。
その後、豊臣秀吉に仕え、よく言われる「加賀百万石」の基礎を固めます。
徳川家康と共に「豊臣政権五大老(ごたいろう)」に列せられ、秀吉の死後は、家康が謀反を起こそうとするのを阻止していました。
一方、妻のお松の方は、11歳から32歳までの約21年間で、2男9女を産んだ肝っ玉母さんです!
利家にはもちろん、秀吉にも進言をするほどの才女(おまけに美女)だったそうです。
(ちなみに若かりし頃、前田家と豊臣家はご近所で、とっても仲良しでした)
利家の死後、家康から謀反の疑いをかけられた長男の利長(としなが)を、自ら人質になることで許しを請い、その後も前田家のために奔走した生涯だったそうです。
神門は明治8年の建築で、国の重要文化財に指定されています。
和漢洋の三様式を混用した、異色の門として全国に知られ、兼六園と共に金沢市のシンボルになっています。
最上階には四面五彩の色ガラス(ギヤマン)が張られ、もとは御神灯が点灯され、その放つ光は金沢の街を照らし、また遠く日本海を航行する船の灯台の役割を果たしていた、と伝えられています。
なお最上階に設置された「避雷針(ひらいしん)」は、日本最古のものだそうです。
金沢城は、前田利家が入城した直後から、本格的な城づくりが始められたそうです。
以降、前田家が14代に渡り、城主を務めました。
明治以後、終戦までは陸軍の拠点、その後、平成7年までは金沢大学キャンパスとして利用されており、現在は「金沢城公園」として整備をされています。
ちなみに私、ご城印も集めておりますので、ご紹介させていただきますね。
兼六園と金沢城は、道を隔てて隣接しています。
私は、兼六園までバスで行き、その後「金澤神社」「金沢城」「尾山神社」と歩き、「近江町市場」で遅めのランチをした後、金沢駅まで歩きました。
少々疲れましたが、金沢を満喫しました!
皆さまも、ぜひ金沢に訪れてみてくださいね。
工房沙彩では、アマテラスを始め「日本神話」をモチーフにした、御朱印帳を販売しておりますので、よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。