今も見られる、明智光秀の城 京都・福知山城
こんにちは。京都にて、檜の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩」です。
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さて本日は、明智光秀が京都の丹波に築いたもう1つの城「福知山城」です。
福知山城は、明智光秀が築城した城の中で現在唯一、天守閣があるお城です(再建されたものですが…)。
もともと福知山の領主の居城だった「横山城」を、丹波平定の際に改修し「福知山城」と名付けました。
その際、城の改修だけでなく、税金の免除や城下町の整備、また、由良川に堤防を築いて川の氾濫を防ぐなど善政を布きました。
そのため、今や「麒麟がくる」で一躍ヒーローとなっている光秀ですが、それ以前から、福知山の人々から大変慕われているそうです。
さて光秀は、1575年に織田信長から命令を受けてから、丹波平定に5年の歳月が、かかっていますが、この間、石山本願寺攻めにも参加しています。
(つまり、丹波攻めに専念させてもらえなかったんですね)
そのためか、1576年4月頃から二か月間、病に倒れてしまいます。
そして、その看病を懸命にしていた妻の熙子を、同年の11月に亡くしてしまいます。
その中で、なかなか手ごわい面々が揃っていた丹波を平定したのです。
だから織田信長は、前回も書いたように、光秀を褒めたたえたのでしょう。
しかし、それでも「本能寺の変」は起きてしまうのでした…
工房沙彩では、明智光秀をモチーフにした、御朱印帳を販売しております。
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