玉の輿を狙え! 京都・今宮神社で御朱印
こんにちは。京都にて、檜の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
「京都十六社朱印めぐり」本日の紹介は、今宮神社(いまみやじんじゃ)です。
ご利益は「健康長寿・良縁開運」
現在の今宮神社がある地には、平安建都以前より疫神を祀る社があったといわれています。
その後の1001年、続く疫病や災厄に悩んだ一条天皇は、疫神を鎮め祀るため、この地に新たに神殿等を設け、その際に今宮社と名づけたそうです。
ご祭神は、その際に創祀された「大己貴(オオナムチ)命(のみこと)」「事代主(コトシロヌシ)命(のみこと)」「奇稲田姫(クシナダヒメ)命(のみこと)」。
(今宮神社の由緒書の通りに記載しています)
オオナムチは大国主(オオクニヌシ)命(のみこと)の別名、コトシロヌシはオオナムチの息子です。
そしてクシナダヒメは、素戔嗚(スサノヲ)尊(のみこと)の奥さまです。
ちなみに、三柱が祀られている本社の左隣に疫社があり、そちらにスサノオは祀られています。
スサノオが悪さをしないように、見張っているようですね(笑)
さて、今宮神社は別名「玉の輿神社」とも言われています。
それは、今宮神社の氏子であった「お玉」の、このような話があったからと言われています。
京都西陣の八百屋の次女に生まれた「お玉」。しかし、父親は、お玉が幼い時に亡くなってしまいます。
数年苦労が続きますが、武家・本庄家の当主に、当時飯炊き係として働いていた母親が見初められて後妻となり、お玉も養女となります。
(ここで、八百屋の娘から武家の娘へランクアップですね)
お玉が13歳の時、本庄家が出入りをしていた公家・二条家の娘が、三代将軍・家光の側室となるため、その世話係として江戸城・大奥に入ります。
懸命に働くお玉は、大奥の最高権力者・春日の局に認められて、17歳の時、家光の側室となり、男の子・徳松を産みます。
(ここでまた、ランクアップです!)
しかし家光には、すでに男子が2人おりました。お玉が24歳の時、家光が没し、その長子・家綱が四代将軍となったため、お玉は、徳松と共に江戸城を離れます。
そして、仏門に入ったお玉は、桂昌院(けいしょういん)と名乗るようになります。
それから30年後、没した家綱に世継ぎがいなかったため、徳松改め綱吉は、五代将軍となります。
そうです! お玉もとい桂昌院は54歳の時、大奥の最高権力者となったわけです!
(当時の女性の頂点に立ったんですね)
桂昌院は京都の寺社の復興に力を注ぎますが、今宮社に対する思いは非常に強かったようで、社殿を造営・神領を寄進したとのことです。
幼いお玉は、この今宮神社で、何度も手を合わせたことでしょう。
当時から、玉の輿にのることを願っていたとは、思えませんが…(笑)
そのため今宮神社は「玉の輿神社」と呼ばれるようになったとか。
みなさんも、玉の輿もしくは逆玉を願いに、参拝されてみてはいかがでしょう。
工房沙彩では、願いに応じたご祈願帳を販売しております。
よろしければ、ショップで確認してみてくださいね。