麒麟がさる! 京都にて明智光秀
こんにちは。京都にて、檜の御朱印帳やオリジナルの御朱印帳、当社が考案した「ご祈願帳」、御朱印帳バンドやしおりなどの和雑貨を制作している「工房沙彩」です。
ご来店いただき、ありがとうございます。
本日は、7日に最終回となる「麒麟がくる」にちなみ、「明智光秀の終焉の地」といわれている場所のご紹介です。
「本能寺の変」については、もう説明することもないですね。
(最終回では、どのように描かれるのか、今からワクワクです!)
その本能寺の変を起こした11日後、光秀は豊臣秀吉の軍と戦うことになります。
それが「山崎の戦い」です。
山崎は、京都府の南から大阪府の北にまたがる地域で、天王山の山麓で戦いは行われたそうです。
そのため、勝負の分け目のことを「天王山の戦い」というようになったそうです。
ちなみに、高級ウイスキーの「山崎」は、ここにある工場で製造されています(笑)
そしてご存じの通り、負けてしまいます。
光秀は滋賀県にある坂本城に戻ろうとしましたが、小栗栖(おぐりす)の藪の中で、落ち武者狩りの農民に竹槍で刺され、深い傷を負います(ここで落命したとの説もあります)。
その地は「明智藪」と呼ばれています(藪は、ほぼ残っていません)
傷を負った光秀は、それでも道を進みますが、300メートルほど行った所で諦め、自害したと言われています。
その地には「胴塚」が建っています(首は家臣が違う場所に埋めたそうです)。
小栗栖は京都市の東南にある地です。京都市といっても、皆さんが想像しているような碁盤の目の道路はなく、数十年前までは、竹藪の多い田舎町でした。
滋賀へ通じる街道があったそうですから、この地から戻ることにしたのでしょう。藪に身を隠しながら、光秀は何を思い、坂本城を目指したのでしょうか。
光秀の辞世の句
「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
「私の本心を知らない人は何とでも言えばいい 私は命も名誉も惜しくない」
(いろいろ調べたのですが、このような意味のようです)
この句を見る限り、光秀に後悔はなかったようですね。
私には、長谷川博己さんの、優しい笑顔が浮かびました。
明智藪の近くにある「本経寺」さんの境内には「供養塔」があります。
「麒麟がくる」ロスの方は、一度訪れてみてはいかがでしょう。
(本経寺は日蓮宗のお寺です)
さて、工房沙彩では、2月1日から「麒麟がさる」セールを行っております。
明智光秀をモチーフにした御朱印帳を、14日まで半額以下の891円で販売!
ただし、数量に限りがありますので、お早めにショップにてご購入ください。